この本全体のテーマは文化人類学の方法論の一つ、文化相対主義の擁護である。文化相対主義は、じつは、擁護を必要とする程に、人類学者によって捨てさられようとしているのである。
この章では、かつての古き良き人類学を紹介したい。人類学者が、あるいは文化人類学者と自称する人たちが、暗黙裡に前提としている(あるいは「していた」)文化相対主義について描いていきたいのだ。
「異なる文化に属する人びとは異なった世界に住む」というテーゼが文化相対主義を表すのに適当だろう。以後これを「テーゼ(1)」と呼ぶ。
次章からこの文化相対主義が、あるいは古き良き人類学が徹底的に否定される。そして、その否定をかいくぐって文化相対主義をすくい出す、これがこの本全体のテーマであることをもう一度繰り返しておきたい。
人類学の歴史の中の相対主義について詳細に述べることはしない。とりわけ人類学の外への影響を重視して、いささか時間順を無視して、印象的なエピソードを連ねていきたい。
文化相対主義者は「異なった文化に属する人々は異なった世界に住む」と主張する。彼女らは、そのような異なった世界を示し「平地人を戦慄」させたのだ。
文化相対主義の、すくなくともアメリカの人類学における文化相対主義の租としてはフランツ・ボアズを挙げるのが教科書的なやり方であろう。ここでは、とりわけ社会一般に影響力を持った、ボアズの弟子のマーガレット・ミードから話を始めたい。彼女は1935年に『三つの未開社会における性と気質』 、 1938年に『サモアの思春期』 ()、 1949年には『男性と女性』、を出版した。わたしが相対主義のもつ「世界を揺がす力」と述べたとき、念頭にあったのが、ミードのこれらの著作なのである。
まず『三つの未開社会における性と気質』をとりあげよう。この本で取り上げられれる「三つの社会」はアラペッシュ、ムングトモール、そしてチャンブリ (Tchambuli) 1 である。これら三つの社会における男性と女性の気質は、西洋社会と大きく異っていた。とりわけチャンブリ社会は、女性が優位の社会としてミードによって記述される。この本が西洋社会の女性たちに勇気を与えたことは容易に想像できる。彼女たちは、彼女たちが生きている西洋社会、男性優位の社会が、決して生物学的に決定されたものではないことをミードから学んだのである。
ミードのこれらの本が発表された当時の影響力について、印象的なエピソードをギヴェーツという女性人類学者が書いている。ミードの調査したツァンブリ(チャンブリ)を再調査したギヴェーツは、その本 の冒頭で彼女の母親のもっていたミードの本、『男性と女性』について描く。この本はギヴェーツの母親がその女友達からもらい、さらに、彼女(母親)がギヴェーツに与えたものである。 2 当時の女性たちは、ミードの本に元気づけられ、育児を通してより自由な人間をつくりあげることを期待したのだろう、とギヴェーツは考える。 じっさい、ギヴェーツの母親がこの本を友達からもらったのは、ギヴェーツの産まれた後だったという。女友達の意図は明らかである— 「あなたも、娘をチャンブリのように育てなさい」。
次に『サモアの思春期』 (Mead 1938) を紹介しよう。
『サモアの思春期』でミードが描くサモアの思春期は、牧歌的である。そこでは性は開放的であり、若者たちは悩みなどは持っていない。3 ミードはサモアをアメリカの不安定で、つねに悩み、しばしば自殺を考えるような思春期と対照するのである。この本は、暗黙裡に、西洋のもつ競争に基づく社会や厳格な核家族の制度そして性の規範などを批判することとなったのだ。
西洋 | サモア | |
---|---|---|
性 | 開放的 | |
若者 | 不安定 | 悩みがない |
自殺を考える | ||
原因として | 性の規範 | |
厳格な核家族 | ||
競争に基づく社会 |
ミードは言う、そのような思春期は「アメリカの思春期なのだ」と。サモアの思春期は開放的で、性は自由である。サモアの若者は悩みなどないのだ。思春期の若者の不安は生物学的なものではないとミードは主張する。そのような暗い思春期は西洋社会が作り上げたものなのだ、と。
サモアと西洋の思春期
西洋 | サモア | |
---|---|---|
夫婦 | 忠誠 | 自由 |
社会 | 競争 | 協調 |
性 | Overheated | Easy |
家族 | Tight | Casual |
思春期 | Turmoil | 至福 |
精神状態 | ストレス | |
罪の意識 |
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