生活世界に密接した自然という考え方とは対照的なものが産業社会の自然に対する考えかたである。それは、一言で言えば、生活世界から離床した客体としての自然である。
それは容易に数学化に屈し、それのみで、すなわち、人間の生活世界とは別個に、閉じた世界を構成するのである。生物学の世界にも、化学の世界にも、そしてとりわけ物理学の世界において(量子力学という例外はあるが)、観察者は、そして観察者の生活世界は削除されているのだ。
わたしはここでどちらの自然観がよい自然観であるか、どちらの自然観を持つ社会がよい社会であるかを論じているわけではない。それは趣味の問題だ。わたしは人類学者の偏見からコスモス的自然観を贔屓目に見ているだろう。しかし、コスモス的自然観を、あるいはそれに基づく社会が正しい社会だ、と主張したいわけではない。ピュシスの自然観、数学化、数量化が悪いと主張したいわけではない。【この章は第三部、理想の社会の所で述べるべきかもしれない。】
ただし、正しい社会あるいは消極的だが間違っていない社会の存在は主張できるだろうとわたしは思っている。この段階では直観として述べざるを得ないのだが、コスモス的自然観に基づく社会をコミュニタリアンの主張する社会に重ねることが、そしてピュシス的自然観に基づく社会をリベラリストの主張する社会に重ねることができるであろう。わたしが言いたいことは、第一にコミュニタリアニズムの社会、リベラリズムの社会、どちらもよい社会だ、ということ、そして第二に、どちらの理想も間違えれば「間違った」社会に展開していく可能性がある、ということである。
リベラリズムの社会はネオリベラリズムの社会、監査文化 (audit culture) (Strathern 2000) へと、そしてコミュニタリアニズムの社会は全体主義の社会 (Arendt 1973) へと横滑りしていく可能性を持っているのだ。
今回の授業で取り上げるのは、リベラリズム的考えかたが監査文化へと横滑りする様を描くことである。
【この部分は「失敗した比較」hikaku2.yamlより】
かくして、博物学の方法のひとつ、フーコーの言う「体系」が完成するのである。「十七世紀以来、観察というものは、ある種のものを体系的に除外することを条件とする感覚的認識となったのだ。伝聞の排除は当然のこととして、味や風味もまた排除される。それらは不確実で変りやすく、だれも容認されるような判明な要素への分析を許さないからである。 . . . そして、明証性と延長の感覚であり、したがって、万人に容認されるように、対象を《各部分《パルテス》がたがいに他の部分の《エクストラ・》 外部にある《パルテス》》ように分析する感覚にほかならぬ視覚に、ほとんど独占的な特権があたえられる」 (M. 1974: 155) (フーコー 1974: 155) ことになったのである。観察による記述から第二述語が排除されていったのである。例えば、リンネの博物学において、対象は四つの属性(数、位置、比率、量)のみを持つものとなった (M. 1974: 157) (フーコー 1974: 157)。博物学の第一述語だけによる感覚的認識は、種の独自性を許さない(M. 1974: 167) (フーコー 1974: 167)。それはつねに他の種との比較の中にのみ、すなわち全体の布置の中における自らの位置としての意味を見出すのである。博物学のエピステーメーは比較にもたれかかったエピステーメーなのである。
すべての種は「碁盤目状の表(タブロー)の中に配置されることとなるのだ。
十七世紀のエピステーメーの変容により、「動植物界の全領域は碁盤目状に区分され、それぞれの群に名があたえられる」 (M. 1974: 164) (フーコー 1974: 164)こととなったように、大学もまた、監査文化の中で、碁盤目状に区分される。教員はその業績数、賞の数、外部資金獲得回数、科研申請回数、等々の属性によって、そしてその属性のみによって、同僚の教員とともに碁盤目状のリストの中に布置される。教員の表《タブロー》 (M. 1974) (フーコー 1974)は、学部の表一部を占める。学部の評価表《タブロー》の中で、教員の表《タブロー》に加えて、学生数、教室数、その他の属性の「数、位置、比率、量」が、リンネ博物学の対象よろしく記述される。大学の評価表は、さらにその他の碁盤目を埋められ、他大学と比較されることとなるのだ。これらの「評価」を可能にするのが、「経験のなかにひとつの可能な知の場を切りとり、そこにあらわれる対象の存在様態を規定し、 . . . 物に関して真実と認められる言説《ディスクール》を述べうるための諸条件を規定する」(M. 1974: 181) (フーコー 1974: 181) エピステーメーなのである。
大学はランキングの中に位置づけられ、お互いに比較可能な項目とされて表の中に置かれるのだ。
大学をそのように評価することを批判しているのではない。わたしが批判しているのは、そのような評価が大学の全てを表しているという考えかたなのだ。
【経済の「大転換」について (???)】
大学の当事者たちは、大学という制度が市場述語群だけで過不足なく記述し尽くされるとは考えていない。そう考えているのは、監査を行なう機関である。マリリン・ストラザーンたちの描く監査文化のただ中の大学の苦悩 (Strathern 2000) (Strathern (Ed) 2000a)は、映画『ソフィの選択』の中の登場人物の苦悩に重ねることができるだろう。そこでは、二人の子供を、(ナチスによって)無理矢理に比較させられる親の苦悩が描かれれる。贈与述語で描かれる社会関係の中で、一人一人の人間は代替不可能な(「かけがえのない」)、比較不可能な人間である。お手伝いをしてくれた子供にお駄賃をあげるとき、親は、子供の貢献を市場述語で記述してはいない。お駄賃のゲームでは「わたしにとってのかけがえのない子供」に贈与が行なわれているのだ。アルバイトに給料を渡す雇用者は、問題となっている社会関係を市場述語で記述する。給料のゲームでは「わたしにとっていつでも取り替えのできるアルバイト」に給料が払われているのである。不況の中、解雇を選択せざるを得ない雇用者に『ソフィの選択』の苦悩はない。被雇用者は、能力、要求する給料の金額等の属性に還元され、その属性の表の中で容易に比較可能である。決断は「合理的」に遂行される。
子供、そして付け加えるならば、友人が、比較不可能・還元不可能なように (Espeland 1998: 30) (Espeland 1998: 30)、大学もまた、本来、比較不可能であったのだ。複数の言語ゲームの軋轢があり、監査文化の言語ゲームが勝ちを収めるのだ。
近代と出会うとき、伝統が経験するものもまた、この言語ゲームの軋轢である。一つ一つの伝統は、自らのアカウンタビリティ(科学および経済学による「普遍的」であるところの小さな述語群による記述)を唯一のアカウンタビリティと主張する近代との軋轢を経験するのである。たいていの場合、ここには森田の強調する「論争」(???) (森田 2009) はない。「より力の強い人々がそれを通してさまざまな社会文化的な集団がコミュニケートし、互いに争うための共通の次元を設定」 (Errington と Gewertz 2001: 508) (Errington and Gewertz 2001: 508) するのである。その軋轢が、近代の勝利に終わるとき、文化の持つ大きな述語は、小さな述語へと還元されるのである— 文化は(近代の言語ゲームの中で)アカウンタブルなものとなり、比較可能になり、読解可能なものとなるのである。
典型的な例として「先住民の知恵」をめぐる事例を挙げることができるだろう。
「先住民の知恵」概念を袋小路の人類学を救う考え方として絶賛するポール・シリトーは、ネパールの先住民の知恵を褒めたたえる。ネパールの人びとは、そこに生えている木の葉の形が、土壌の侵食と深い関係があることに気がついていたのだ (Sillitoe 1998: 227) (Sillitoe 1998: 227)。この考え方の正しさは、科学が後に検証することとなったことをシリトーは付記する。
ロイ・エレンは、シリトーの論文へのコメント (Ellen 1998) (Ellen 1998)の中で、正しくも、先住民の知識として取り出された断片が、文化の他の部分から切り離された断片である恐れについて述べている(Ellen 1998: 238) (Ellen 1998: 238)。そして、じっさい「先住民」たちは知識の切り売りを始めているのである— その知識を自ら、単純化し、変容させて市場へと売りに出しているのである(Ellen 1998: 238) (Ellen 1998: 238)。近代は、「記述が細心に並列する諸要素のうち、いくつかのものだけを取りあげ」、「特権的構造に関係のないすべての相違や同一性を故意に無視する」(M. 1974: 163) (フーコー 1974: 163)のだ。たしかに、エレンが危惧するように、「全体的社会事実」を強調することは文化人類学者の縄張り主張のように聞こえるかもしれない。それは、文化ブローカーの先取権の主張と非難されるかもしれない。しかし、その危険は敢えて犯すべきものである、とわたしは考える。さもなくば伝統社会は、博物学者の視線の中で、碁盤目状のグリッドの中での分類を待つ標本のようになってしまうであろう。敢えて挑戦的な喩えを用いれば、「先住民の知恵」の文脈で、伝統社会は、医者によって使用される臓器を吟味され、解体を待つ「生きた死体」のような存在となってしまうであろう。
ヘンリー・デルコア (Delcore 2004) (Delcore 2004)は、先住民の知恵を、エリントンとゲヴァーツ (Errington と Gewertz 2001) (Errington and Gewertz 2001)の言う「類化」(generification) の一例であると主張する。彼によれば、先住民の知恵とは「共通の差異の構造」(Wilk 1995) (Wilk 1995) を通じて、ローカルな手段を、ナショナルな、そしてインターナショナルな舞台で理解可能にするものであるのだ (Delcore 2004: 7) (Delcore 2004: 7)。
以下、類化の概念を明瞭化すべくデルコアによって挙げられたいくつかの論文をサーベイしていくこととしよう。
バーナード・コーンは植民地期インドにおける「文化の客体化」について述べる(Cohn 1987) (Cohn 1987)。彼の注目するのは、「国家《ステート》の学」、統計《スタティスティックス》 (??? 69) (原 1998: 69)が果たした、インド人のアイデンティティ形成の中の役割である。十九世紀末、統計作成のための資料の採取をイギリス人により命じられたインド人のエリートたちは、人口を数え、カーストを分類しようとする。それらの企ての中で、彼らは文化をモノとして扱うようになっていったのである。「彼らは一歩はなれて自分自身を、自分自身の理想を、象徴を、文化を眺め、それを一つの実体として見る。それまで習慣、儀礼、宗教的象徴、テキストを通じて伝承された伝統といったもののマトリックスの中に埋め込まれていたものが、なにか違ったものとして見えるようになったのだ」 (Cohn 1987: 229) (Cohn 1987: 229)。主体の中に埋め込まれいたものが、分離し、客体として記述が可能となっていったのだ。 1931年に至ると、ひとつの民族運動(アーリヤ・サマージ)は、統計の積極的な活用をはかるまでになる。例えば、「統計の『カーストは?』という質問には『なし』と書け」といった統計への答え方を、彼らは住民に指導していったのである (Cohn 1987: 250) (Cohn 1987: 250)。一握りのイギリス人の知的興味から始まった統計作りの作業が、インド人に現在まで続く文化的な運動、西洋の影響に抗する運動を形作ったのである (Cohn 1987: 250) (Cohn 1987: 250)。
コーンの文化の客体化論を背景として、リチャード・ウィルクは、中米の小国ベリーズを舞台に展開されるグローバリゼーションについて議論する。それは単純にグローバルがヘゲモニーを取るという議論ではない。ローカルであるものは、グローバルな秩序のもとにあるという条件のもとにローカルであることができるのである。そのメカニズムは一種の文化の客体化である。彼は、それを「共通した差異の構造」と呼び (Wilk 1995: 111) (Wilk 1995: 111)、コーンの議論をさらに精緻にしていく。そのメカニズムは、共約可能性に基く、すなわち、比較可能な差異の構造の産出のメカニズムである。ベリーズの文化は、それ自身としての個性、ローカル性を主張するのではなく、あくまで「共通した差異の構造」というグローバルな表《タブロー》の中に配置されることにより、比較可能な、共約可能な差異をのみ主張するのである。
かつて、十六世紀までは、「それぞれの種はそれ自体によって自己を示し、他のあらゆる種とは無関係に自己の個別性を言表した」 (M. 1974: 167) (フーコー 1974: 167)という。しかし、十七世紀の博物学において、個別性は姿を消し、種は、他の種との同一性あるいは差異性の中にのみ自らの意味を見出すこととなった。ウィルクの描く「共通の差異の構造」においては、ローカルな文化は、その個別性を主張する権利は剥奪されている。ローカルな文化は、他の文化との間の同一性と差異性の表《タブロー》、すなわち、グローバルという秩序の中でのみその位置を主張できるのである。
コーンの議論との対照を把握するためにも、わたしたちは、ウィルクの論文の題名「ローカルになるべく学ぶ」 (Learning to be Local'') に留意すべきである。 題名が示唆しているのは ポール・ウィリスの本、 『働くべく学ぶ』(*Learning to Labour*) (邦題『ハマータウンの野郎ども』) [@willis-labour-j] (ウィリス 1996)との照応である。 ウィリスは、ハマータウンの学校でのフィールドワークに 基き、 労働者階級の生徒たちの不良ぶり、 体制への反抗を生き生きと描きだす。 この部分の描写を、 コーンによる イギリスの統治に反抗するインド人による民族運動と重ねることは 可能である。 しかし、労働者階級の生徒たちによる体制への反抗は ウィリスの議論の序曲でしかない。 彼が導く結論は、 それらの反抗を通して、 彼ら労働者階級の生徒たちは、 皮肉なことに、 彼らが反抗している当のものであるところの体制、すなわち、 階級構造、それの再生産に寄与している、というものである。 ウィルクの題名が運ぶメッセージは、 次のようなものであろう。 ローカルな住民による文化の客体化の運動は、 それ自体、グローバルな秩序への反抗の事例、 「OK。彼らはそれを流用している」学派 (
It’s All Right. They’ve Appropriated It’’ school) (Wilk 1995: 115) (Wilk 1995: 115)の喜びそうな事例かもしれない。しかし、それらの運動の帰結は、ローカルのグローバル秩序への組み込みに他ならないのだ。
より悲観的な報告がエリントンとゲヴァーツによってなされる。パプアニューギニア、セピック川流域のチャンブリの事例である。エリントンとゲヴァーツは、三つの事例を通じて、チャンブリがいかにして、力の強い外部者(政府の役人、NGOの決定権を持つ人々、ツーリスト、調査者)に対して、自らを翻訳可能な、読解可能な、比較可能な形で、ひとことで言えば総称的な (generic) ものとして提示せざるを得なくなっているかを描写する。チャンブリたちがそのような場において自らを提示する際に採用するメカニズムこそが、「共通の差異の構造」である。エリントンとゲヴァーツは、それを「ジェネリフィケーション」(「類化」と訳すこととする)と呼ぶ。
警官の暴力により、儀礼家屋が破壊された— その破壊を、文化財保護局に訴える事例が第二の事例である。彼らは破壊の様子をレポートに書く。レポートの一つは、破壊された文化財の目録の作成となる。目録の作成は、各アイテムの種類、名前、記述と、その推定市場価格との表となる。チャンブリたちは、彼らの儀礼家屋が、けっきょく、一連のリストと、市場価格の総額に還元されてしまったことに驚くのである (Errington と Gewertz 2001: 518) (Errington and Gewertz 2001: 518)。力のある他者と交渉するためには、チャンブリの文化は脱領域化され、一般性を獲得しなければならなかったのである。このような類化のプロセスはチャンブリに限られたものではない。パプアニューギニアにおいて、力を持つ国家や資本主義の使者たちが、 800もの多様な文化を読解可能なものとしているのである。この作業には特殊な翻訳が必要となる。この翻訳は文化的な類化によって行なわれるのだ。文化的な類化によって、文化的な特殊は、文化的な一般に翻訳されるか、さもなくば、文化的な特殊の一般的な事例に翻訳されることとなるのである (Errington と Gewertz 2001: 510) (Errington and Gewertz 2001: 510)。
チャンブリの儀礼家屋が碁盤目状の表《タブロー》に還元され、チャンブリ自身もまた表に還元されるのだ。そして、最終的には、パプアニューギニアの諸民族が、類化を通じて、碁盤目状の表に還元されていくのである。
【ここまで hikaku2.yaml「失敗した比較」より。】
【近代の中の伝統社会について述べた。このテーマには、環境主義までの歴史を辿った上でもう一度もどってくる。環境主義の中の伝統社会を述べるのがこの講義全体の目的なのだから。】
Arendt, Hannah. 1973. The Origins of Totalitarianism (Harvest Book, Hb244). New. Mariner Books.
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