科学の中の未開社会
この章の一つの目的は、環境主義に関する論考の分類である。かなり道具だてがそろってきた。
登場人物は、4種類に分類される。(1)原住民(「伝統」にそって環境を活用 (exploit) する人びと)、(2)環境主義者たち(たとえば、NGO)、(3)政府、(4)私企業(「経済」によって環境を搾取 (exploit) する人びと)である。
わたしが原住民を女性にみたてているのは、もしかしたら、原住民を男にみたてる「環境主義」 (Sawyer と Agrawal 2000) への反発にもとづいているのかもしれない。わたしの意図は、「いまどきの」環境主義は、むしろ、「原住民」を女性にみたてていると思われるような語りかたをしている、という点を強調することにあるのだが…ま・なにはともあれ…。
政府と環境主義者の役割分担はしばしば入れかわる。「よき」政府が、「環境主義者」の役割をになうこともあろうし、「あしき」環境主義者が、「政府」の役割をになうこともあろう。
最初の悪役に登場してもらおう。「政府」である。
登場人物のタイプがもっとも少ない(登場人物の数は非常に多いのだが)ひとつの物語として、ジャワの森林保全の物語を紹介しよう。『豊かな森、貧しい人々』と題された本だ。 (Peluso 1991)。
[ under construction ]
ここでは明らさまに悪役としての政府が強調されている。 [ under construction ]
登場人物が増える。「原住民」と「政府」に加えて、環境主義者たちが舞台にあがるのだ。
二つの舞台を紹介する。一つは、東部インドネシアのフローレス島の西部にあるマンガライであり、もうひとつは、フィリピンの南の端、パラワン島である。
まず、西部フローレス島のマンガライから始めることとする。事件は国立公園の設立をめぐって起こる。
国連は 1993年を「先住民の年」とした。インドネシア政府は、UN のこの宣言に公式的には関心を払わなかった。
インドネシア政府の公式見解によれば、インドネシアには「先住民」は存在しない。((Li 2000)を見よ。)あるいはもっと分かりやすく言えば、インドネシアに住むのすべての民族は「先住民」なのである。(公式に「masyarakat terasing」とされた)クブ人であろうと、(政治の中枢を握る)ジャワ人であろうと、すべての人びとは「先住民」なのである。 1993年は、インドネシア政府によって他のテーマにふりあてられた— 「環境」である。 (Persoon ほか 2004: 30)
ADB(アジア開発銀行)は、40,000,000USドル(そのうちの一部はローンである)を生物多様性保護 (Biodiversity conservation)プロジェクトに割当てた。ひとつは、フローレスのマンガライであり、もうひとつはシベルートである。
ジルは、国立公園が森林を保護することにより、地元のマンガライの人びとが水を確保できることを述べる。 (Gill 1995: 1) 環境主義者と地元民は、幸福な関係を築いているのだ。悪党は、よそからやってきた盗伐者たちである。 (Gill 1995: 3–4) 彼ら盗伐者にも言い分があることをジルは認めるが、大事なことは、地元の人びと、マンガライの人びとが、この伐採で困っていることなのだ。ジルは、マンガライの代表の次のような語りを引用し、自分があくまで原住民、マンガライの人びとの側に立っていることを強調するのである。
:
「伝統的衣裳に身をつつんだ首長、サレスマグルは私に語った—われわれはここで一所懸命に、そして正直に働いている。かせぎは少ない。盗伐者たちはここにやってきて、法を犯し、われわれの生活を脅かしているのだ。政府は彼らは違法だとは言うものの、なにも対策をとろうとしないのだ」。 (Gill 1995: 4)
サレスマグルこそ、ツィンの言う「部族の首長」 (``tribal elders’’) 、すなわち、「部族という幻想を保守する人間」(Tsing 1999: 162) なのである。
邪悪な盗伐者、無能な政府に囲まれた正直な(その上、伝統的な衣裳まできている)先住民を助けるのが、「われらのウルトラマン」ならぬ「われらの環境主義者」であるのだ。
ジルの牧歌的な物語に比べ、マリベス・アーブの語る物語はずっと辛《から》いものである。 (Erb 2001)
アーブは、国立公園の境界設定に際しての根拠となった(自然保護よりは、資源保護の色合いの濃い)オランダ時代の保護林について述べることから始める。
From 1933 to 1979 the area was called *hutan tutupan*' (closed forests), from 1979 to 1993 it was called
kawasan hutan’ (forest area), and in 1993 it was renamed `Taman Wisata Alam’ (Natural Recreation Park), when the present TWA started to take shape in Ruteng. (Erb 2001: 76-77) [ under construction ]
アーブはジャワ人たちから構成される政府の邪悪さを暴きだし、そして他所者から成る環境主義者の無能を糾弾する。問題は、アーブは主張する、スポンサーである(アジア開発銀行の)外国人にとっては、ジャワ人であろうとその他のインドネシア人であろうと、すべてが「ローカルな人びと」であることなのだ。一方、真に「ローカルな人びと」にとっては、以上のどの人びとも(フローレス人でさえも)他所者であることなのだ。
ジルは、良き環境主義者と良き原住民と無能の政府と邪悪な盗伐者との対立を描き、アーブは、邪悪な政府、無能な環境主義者と良き原住民の対立を描くのだ。
東部インドネシアからフィリピンの南部へと舞台を移そう。パラワンの環境保全の物語である。ここにおいても、二つの物語を紹介する。
牧歌的なタイプの典型として、ホッブズによる(フィリピン)パラワン島の環境保全の物語を辿ってみよう。
パラワン島は、しばしば、フィリピンの「最後の生態学のフロンティア」(the last ecological frontier)と呼ばれてきた。珊瑚礁、森、そのた豊かな自然がいまでも保たれている。
1903年には3万5千人ほどであった人口が、移民の増大で、急激に増えてきている。 1948年に10万人、 1960年に16万程度であったのが、 1994年には60万が記録されている。それにつれて「先住民」の割合も 1948年の20%から、 1990年の10%へと降下している。 (Hobbes 2003: 46)
ホッブズは次のようにパラワンの環境問題を導入する— 「パラワンにおける森林破壊の主たる原因は、商業的で非合法な伐採、森林に対する農業用地としての、そして住宅用地としての需要を拡大した人口増大、そして焼畑農耕である」 (Hobbes 2003: 46) 同じように非森林の環境にもさまざまな破壊の手が延びているとホッブズは言う— 「ダイナマイトや青酸カリによる漁業、魚の取り過ぎ、マングローブの開拓などが、同じように、海岸部と、海の環境の破壊に繋がっている」 (Hobbes 2003: 47)。
物語は、1995年にパラワン熱帯森林保護プログラムが発足するところから始まる。舞台は、バタラザ行政区 (Bataraza municipality) にあるイノグボング・バランガイ(barangay Inogbong)のマンタリンガハン山の東側のパラワン人の共同体、サライ (Saray) である。
登場人物は、悪役、政府の行政の役人である。彼らは、「原住民」と環境について次のように語るというのだ — 「部族社会の人々こそが森林破壊の唯一の原因なのである。そしてこのプログラムのおかげで、彼らは森林を焼くのではなく、森林を保護しなくてはならないことを学習をし、意識的になったのだ」と。 (Hobbes 2003: 47)
行政府のもつ「無知な野蛮人」観を否定しながら、プログラムの実行者たちは、果敢に「原住民」の共同体の中に分けいる。彼らが最初にコンタクトをするのはパンリマ panglima と呼ばれる共同体のリーダーたちである。プログラムは、リーダーたちと密接に接触し、リーダーたちは、共同体にその理念を植えつける。
パラワン人および彼(女)らの共同体はつぎのように描写される。
:
たしかに彼女らは生存のぎりぎりに生きているかもしれない。しかし彼女らは高地パラワンの自給農民であることに誇りを持っている。じっさい彼女らはいつも仕事で忙しいのだ。環境に依存した上でよりよい生活を彼女らは望んでいる。たとえ金持ちになるよい機会があったとしても、誰も低地 (lowland) に行こうとなどは誰も考えもしない。・・・高地で仲間のパラワンといっしょに過すことこそが彼女らが望むことなのだ。パラワンにとっての理想の生活とは、かつてそうであったような生活 —米の収穫は豊富で、森には果物や獲物があふれているような生活をおくることなのだ。 (Hobbes 2003: 52)
平等主義のこの共同体の中で、パンリマはみなの尊敬を集めて、パンリマとして選出されたのだ。パンリマの言うことにみなが従い、森林保全はたいへんにうまくいった、という話である。
じっさい、(もちろん例外はあるのだが)ほとんどの村人が環境保全について熱心に語ったと、ホッブズは報告する。
原住民は、あくまで「高貴な野蛮人」である。彼らは、伝統を維持する共同体の中で生活する。徹底的な悪人(たとえば「私企業」)は登場しないが、「政府」の役人が狂言回しとして「原住民」の無知をなじる場面が挿入される。プログラムのメンバーが「環境主義者」である。プログラムのメンバーと原住民の共同作業の中で、環境は保全され、原住民の生活は向上するのだ。
より単純な形態、悪役は存在せず、環境主義者と原住民が協力しあいながら、環境の保全(海亀の保護)につとめる姿が、たとえば、メキシコのマピムについて書かれている。 (Kaus 1993)
パラワンの環境主義について書かれたもうひとつの論文 (Novellino 1998) の描く状況は全く違ったトーンを帯びている。
ノヴェリーノは、まず環境主義者たちのナイーブな「高貴な野蛮人」観を指摘することから始める。環境主義者たちは次のようにバタクの人びとを規定する——
:
バタク族 (Batak tribe) はパラワンの原始的な先住民のひとつであり、遊牧を行なっている。彼らは、生物学的欲求を満たすために一つの場所からもう一つの場所へと移動する。今日に至るまで彼らの宗教は(岩や木に宿ると信じられている)自然のなかの精霊に基づているのだ
じっさいの環境保全のプログラム、聖ポール公園の中で起こっていることは、バタクの人びとが、自分自身の環境の中に住むことを(環境主義者の慈善によって)「許されている」ということなのだ。バタクの人びとは「環境と調和するような暮しをする限りにおいて、公園の中に住むことを許されている。いわば、彼らは、自分自身の土地の中で「周辺化」されているのだ。 (Novellino 1998: 5)
そしてバタクの人びとが周辺化と戦うとき、(そしてその戦いを、たしかに、環境主義者たちは支援するのだが)彼らが使用しなければならないのは、土地の権利書であるとか、写真であるとか、地図であるとか、あるいは図表であるとかの、彼らにとっての異質な
かつて、バタクの人びとにとって、土地は意味に満ち溢れていた。人々はそれぞれの木の用途を知り、どの洞窟に燕が巣をつくるのかを知っていた。山や川にはそれぞれにまつわる神話があった。環境は、過去と現在をつなぐ安定したリンクであったのだ。現在、環境は、プロジェクトによって(環境保全の必要度に応じた)三つのゾーンに分けられる。バタクの人にとって、環境はもはや somewhere ではなく、 nowhere なのである。(Novellino 1998: 10)
環境保全のプログラムの中で、環境保全に積極的に協力する「原住民」の姿はここにはない。彼らは、意味を奪われてしまった人びとなのである。「悪人」は善意の「環境主義者たち」なのだ。
[ under construction ゲームによる取りこみ(両さん) ]
[ under construction place vs non-place ]
Erb, Maribeth. 2001. 「Ecotourism and environmental conservation in Western Flores: who benefits?」 Antropologi Indonesia : Indonesian journal of social and cultural anthropology 66: 72–88.
Gill, Ian. 1995. 「An Innovative Bank Project in Indonesia Helps An Island Community Save Forests : Turning Illegal Loggers into Agents of Change」. ADB Review, 3–5.
Hobbes, Marieke. 2003. 「Pala’wan Managing Their Forest (Palawan Island, the Philippines)」. Co-management of Natural Resources In Asia : A Comparative Perspective, 編集者: Gerardus Antonius Persoon, Dimphena Maria Elizabeth van Est, と Percy E. Sajise, 43–62. Copenhagen: Nordic institute of Asian studies (NIAS).
Kaus, A. 1993. 「Envrironmental Perceptions and Social Relations in the Mapim Biosphere Reserve」. Conservation Biology 7 (2): 398–406.
Li, Tania Murray. 2000. 「Locating Indigenous Environmental Knowledge in Indonesia」. Indigenous Environmental Knowledge and its Transformations — Critical Anthropological Perspectives, 編集者: Roy [F.] Ellen, Peter Parkes, と Alan Bicker, 5:121–50. Studies in Environmental Anthropology. Australia, Canada, France, Germany, India, Japan, Luxemburg, Malaysia, The Netherlands, Russia, Singapore, Switzerland: Harwood Academic Press.
Novellino, D. 1998. 「『Sacrificing Peoples for the Trees』: The Cultural Costs of Forest Conservation on Palawan Island (Philippines)」. Indigenous Affairs 4: 5–14.
Peluso, Nancy Lee. 1991. Rich Forests, Poor People: Resource Control and Resistance in Java. Berkeley; Los Angeles, California: University of California Press.
Persoon, Gerard A., Tessa Minter, Barbara Slee, と Glara van der Hammen. 2004. The Position of Indigenous Peoples in the Management of Tropical Forests. Tropenbos Series 23. Wageningen, the Netherlands: Tropenbos International.
Sawyer, Suzana, と Arun Agrawal. 2000. 「Environmental Orientalism」. Cultural Critique Spring (45): 71–108.
Tsing, Anna Lowenhaupt. 1999. 「Becoming a Tribal Elder, and Other Green Development Fantasies」. Transforming Indonesian Uplands: Marginality, Power and Production, 編集者: Tania Murray Li, 4:159–202. Studies in Environmental Anthropology. Australia, Canada, China, France, Germany, India, Japan, Luxembourg, Malaysia, The Netherlands, Russia, Singapore, Switzerland: Harwood Academic Press.