もう一つの経済―与えることと受け取ること

Satoshi Nakagawa

2018-05-29 15:54

1

1.1 これまで

[ under construction ]

1.2 これから

2 二つの「経済」

開発の失敗する理由は、「文化」の違いに由来するのだ。

2.1 タイのバザールでの経験

[ under construction ]

2.2 フィリピンのマーケットにて

[ under construction (???)より ]

2.3 メキシコの漁村にて

ジョークです。たぶん有名なジョークだと思います。どこかの本で読んだのですが、以下は、あるウェブサイトからの引用です。1

:

あるアメリカ人の実業家がメキシコの小さな浜辺の漁村の港にいると、猟師たった一人の小さな舟が港にとまった。小さな舟の中には大きなキハダマグロが何匹かいる。

「見事な魚ですねぇ」と漁果を褒め、アメリカ人は釣るまでどれぐらいかかったか尋ねた。メキシコ人は、「なに、ほんのちょっとで釣れましたさ」と答えた。

:

アメリカ人は訊いた。「もっと粘ればもっと釣れるのに何故そうしないんです?」メキシコ人は説明した。「なあに、これだけありゃ当分家族養うには十分」

するとアメリカ人は訊いた。「そんな…じゃあ残りの時間は何して暮らすんですか? 」メキシコ人の猟師は言った。

「ぐっすり寝坊して、ちょっと魚釣って、子どもと遊んで、カミさんのマリアとシエスタ、日が暮れると毎晩町に出てワインのみながらアミーゴとギター弾くんでさあ。こう見えて毎日忙しくて充実してるんですぜ、セニョール」

:

アメリカ人はフンと鼻で笑い、言った。

「そういうことはぺンシルバニア大ウォートンスクールMBAのこの私に任せてくださいよ。まず漁はもっと長くやること。そして魚を売って得た収益でもっと大きな舟を買う。もっと大きな舟からあがる収益なら舟も何艘か買えます。そしてゆくゆくは漁船の1団が自分のものになる。」

:

「獲った魚は仲買人に売るのではなく直接水産加工業者に売ることですね。するとゆくゆくは自分の缶詰工場を構えて、製品・処理・配送を一手にコントロールできる。」

:

「ここまで行ったら、もうこんな小さな沿岸の漁村でくすぶってる必要はない。メキシコ・シティ、LA、ゆくゆくは NYC なり住んで、そこで日々成長する企業の経営に当たればいいんです」

メキシコ人の漁師は訊いた。「けどよ、セニョール、それ全部終わるのにどんぐらいかかるんで?」アメリカ人は答えた。「ざっと15 から 20年ですね」

:

「けどよ、セニョール、それからどうなるんですかい?」アメリカ人は笑って言った。「それからが一番いいところですよ。良さそうなタイミングで IPO (株式公開)を発表し、会社の株式を公開し、大金持ちになるんです。資産何億円も夢じゃない」「ひゃー何億円もですか、シニョール? それからどうなるんで?」

アメリカ人は言った。「それからは定年退職でしょ。小さな浜辺の漁村に悠々自適隠居し、ぐっすり寝坊して、ちょっと魚釣って、子どもと遊んで、奥さんとシエスタ、日が暮れると町に出てワインのみながらアミーゴとギター弾くんですよ」

2.4 ギリシャ

ブースは、クセノフォンによる Oeconomicus におけるソクラテスの会話を例にとりあげる。いかにして裕福な市民であるイスコマコス (Ischomachos) が市や友人のためのつくすための資源を得るのか、ソクラテスは知ろうとする。イスコマコスは、彼の利益を最大にしようとはしない。そうすると、彼は市や友だちのための時間を工面することができなくなるからである。彼らの議論は、どのように妻に(自分に代わって)家庭の面倒を見てもらい、どのように農場監督官に(自分に代わって)農場の面倒を見てもらうか、ということを中心に展開していく。まるで企業の経営の議論が続くのだ。違いは、繰り返しになるが、企業では最大の利益の追及が目的であるのに対し、イスコマコスはいかにして善き生活を送るのか、である点なのだ。 (Booth 1994: 659)

3 さまざまな「伝統的」交換

人類学で最も有名な交換はおそらくニューギニアのマッシムと呼ばれる地域で行われる壮大な交易、クラであろう。クラ交易圏の一つの中心地、トロブリアンド諸島において、B .マリノフスキーによってクラは詳細に調査された。 (マリノフスキー, 日付なし)

3.1 クラ

3.1.1 地域

クラは広範な範囲を含む交易活動である。それは、ルイジアード島、ウッドラーク島、トロブリアンド諸島、ダントルカストー島等をその圏内としてふくんでいる。

3.1.2 交易される財

交易されるのは、二種類の財である。(1)一つはムワリとよばれる貝の腕輪である。(2)もうひとつはソウラヴァ(あるいはバギ)とよばれる赤い貝の円盤形の首飾りです。

ムワリは常に反時計回りに、ソウラヴァは時計回りに交易圏のなかを動く。

3.1.3 遠洋クラの実際

 クラには島と島との間で行われる遠洋クラと、地続きのコミュニティーの間で行われる島内クラとがある。ここでは遠洋クラに話を限定する。

_FL_BEGIN (1) ワガ(カヌー)つくり _FL_END

遠洋クラは島と島の間の交易である。たいへんに手の込んだカヌー(ワガ)を作ることからすべてのクラの作業は始まる。ワガの所有者、トリ・ワガが作業の中心となり、様々な呪術がほどこされて、ワガが完成する。

_FL_BEGIN (2) 誰が出かけるか _FL_END

 もらい手が、遠洋航海をするのがクラの決まりである。

_FL_BEGIN (3) 途中の海 _FL_END

 もらい手のクラ・コミュニティーは何日間かの航海ののちに、クラ・パートナーのいる島に到着する。この地域の人々にとって、自分の島以外は、恐ろしい地域である。人喰い人種や、男を喰い物にする恐ろしい女性の住む島じまなのである。クラ・パートナーは、その様な恐ろしい異郷の地における友人なのだ。

_FL_BEGIN (4) 目的地到着 _FL_END

 クラ船団はクラ・パートナーの島につく客人は儀礼的な歓迎をうける。

_FL_BEGIN (5) クラ交換 _FL_END

 そののち、人々はそれぞれのクラ・パートナーから贈りもの―すなわちムワリないしソウラヴァを受け取るのである。贈りものは様々な儀式的な手続きを経て行われる。取り引きが成立するたびにほら貝が鳴らされるという。

_FL_BEGIN (6) お返しのクラ _FL_END

 半年くらいの間をおいて、今度は先程はホストであった(そして贈りものの与え手であった)クラ・パートナーは海を越えて、贈りものの受け手であった人達のところへ大航海をする。そして、違った種類の贈りものを彼らから受け取るのである。

3.1.4 クラの交渉のしかた

基本的に等価とされるようなものが交換されます。

 しかしクラは、あくまで「贈りもの」なのだ。それゆえ、値引交渉とか、もらったものが気にいらないとか、そういったことは言ってはならない。そして、もらったものは拒否できない― それがクラのしきたりなのである。

3.2 ギムワリ

 遠洋クラ航海は、単にクラを行うだけの航海ではない。同時に、ギムワリと呼ばれる「取り引き」の行われる大事な機会を提供してくれるのである。

3.2.1 クラとギムワリ

 クラは、財宝すなわちムワリかソウラヴァをやり取りする活動であるが、それに対し、ギムワリでは日常使うような生活の財を交換する。

 クラが行われることがわかった場合、クラのホストとなるコミュニティーには、回りのコミュニティーから、ギムワリを目指して何人もの人がやってくるという。

3.2.2 誰とギムワリをするか

 クラは決まったクラ・パートナーとのみとり行われる。それに対して、ギムワリをほとんどだれとでも行うことが出来る。ギムワリをおこなってならないのは、クラ・パートナーの間だけなのだ。

3.2.3 ギムワリのやり方

 ギムワリでは値引交渉をしたり、もらったものが気にいらないとか、大声で言ってもかまわないその様なたぐいの交換活動である。

3.2.4 クラとギムワリ

 ギムワリは、常にクラと同時に行われるので、対照して語られることが多い。クラのやり方を非難する一つの方法は、「おまえはそれを、ギムワリのように行っている」と非難することだという。たとえば、必要な儀式的壮重さを欠いていたり、贈られるものに関心を示し過ぎたりしたときに、そう言われるのだ。

3.3 ウリグブ

3.3.1 主食はヤムイモ

 この島々の住人の主食はヤム芋と呼ばれる、日本の山芋の仲間の芋である。彼らは非常な精力を、実際必要以上の精力を、そそぎ込んでこの芋を作る。そして、出来上がった芋のうちで見事な芋は、特別の小屋に展示されるという。

3.3.2 ウリグブ

そのようにして丹精こめて作られた芋も、実は自分で食べるための物ではない。それらは、基本的に、姉妹の夫に贈られる。この贈物をウリグブと呼ぶ。それでは、彼はどの様にして「食べていく」のだろうか。もちろん、自分の妻の兄弟達からのウリグブを待つのである。

3.3.3 トロブリアンドの人生論

 一人の人間の存在は、人から助けられて初めて可能である、というテーゼは、トロブリアンドの社会生活を貫く一つの大きなモチーフとなっているのだ。

3.4 アベラム、アラペッシュ

 同じ様な例は、同じくニューギニアの(本島)セピック川流域に住むアベラム族、アラペッシュ族にも見いだすことが出来る。


他の人間の母親、
他の人間の姉妹、
他の人間の豚、
他の人間が積み上げたヤム芋、
それらのものを、おまえは食べてもよろしい

自分自身の母親、
自分自身の姉妹、
自分自身の豚
自分自身で積み上げたヤム芋、
それらのものを、おまえは食べてはならない

3.5 シリオノ

南米のボリビアに住むシリオノと呼ばれる人々は採集・狩猟の生活を行っている。狩猟は、彼らにとって、生活をかけた活動である。

 しかし、彼らの規範によれば、自分でとった獲物は、決して自分で食べてはいけない、という。また、アフリカの!クン・サンと呼ばれる狩猟採集の民族でも、獲物は必ず共同体のなかでの分配が義務づけられています。

4 ギアーツ

「埋め込まれた経済」は「伝統的な」経済に限られれているわけではあに。「近代」の中に生きる、すなわち資本主義に巻き込まれてしまった農民に根づいている「埋め込まれた」経済について述べよう。

4.1 インヴォリューション

ギアーツ (ギアーツ, 日付なし)はブーケの「二重経済」論に依拠しながら議論をすすめる。「二重経済」とは、植民地において、(1)白人の資本主義と(2)現地民の伝統的経済が両立している状況を指すブーケの言葉である。

まずギアーツ自身による『インボリューション』の議論のまとめを追っていこう。[ under construction ]

4.2 貧困の共有

非合理な雇用

ルクンの確認をするスラマタン

5 スコット

スコットの議論によるベトナムの農民の埋め込まれた経済について紹介しよう。

5.1 農民のモラル・エコノミー

保守的である」というイメージの強い農民たちが、しばしば叛乱を起こし、さらには革命の担い手となる。2 なぜだろう…『農民のモラル・エコノミー』(Scott 1976) はそのような問いに対するひとつの解答を示す。

スコットは、本の冒頭で、トーニーの『中国の土地と労働』の一節を引く:

:

農民の状況が、ほんのちょっとしたさざ波で溺れてしまうほどに首まで水につかった男という比喩がちょうどいいような状況であるような地域がいくつかあるのだ。 (Tawny 1966: 77)

スコットは、このような(のどまで水につかっているような、生存ぎりぎりの)農民の経済について書く。

スコットの議論を簡単にまとめると次のようになる:生存すれすれの状態で生きる(スコットの場合、マレーシアの)農民の共同体は独特の価値観をもつ。それは、(個人所有と対照的な)集団的な価値観である。危険回避原則、互酬性倫理、平等、共同体の維持、そして、とりわけ、生存へ権利から成るものである。市場経済が農民社会に浸透するとき、このような価値観が破壊されてしまうことに農民は危機感を覚え、また怒りを感じる。それが日常的抵抗・あるいはまた革命へと続くのだ、と(たとえば、(Bates と Curry 1992: 457)を参照せよ)。

農民の叛乱を理解するには、農民がモラルエコノミーに基いて行動していることを理解しなければならない、というわけだ。

6 まとめ―埋め込まれた経済

[ under construction モノの有名性 ]

Bates, Robert H., と Amy Farmer Curry. 1992. 「Community Versus Market: A Note on Corporate Village」. The American Political Science Review 86: 45763.

Booth, William James. 1994. 「On the Idea of the Moral Economy」. The American Political Science Review 88 (3): 65367.

Scott, James C. 1976. The Moral Economy of Peasant. New Haven: Yale University Press.

Tawny, R. H. 1966. Land and Labor in China. Boston: Beacon Press.

ギアーツC. 日付なし. インボリューション―内に向かう発展. NTT出版.

マリノフスキーB. 日付なし. 西太平洋の遠洋航海者. 世界の名著. 中央公論社.


  1. その他に https://www.wanttoknow.info/051230whatmattersinlife、 https://bemorewithless.com/the-story-of-the-mexican-fisherman/ など、いろんな所に載っています。

  2. スコットの議論の背景にはベトナム戦争がある。