第4講義 希望とノスタルジー―理想の社会を求めて

Satoshi Nakagawa

2017-07-04 17:45

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前回の講義(大転換)の最後でわたしはポランニーの議論の持つ規範的側面について言及した。ポランニーは「経済が社会に埋め込まれている社会」を良しとしているのだ。

今回の講義はポランニーの議論のこの側面、すなわち何がよい社会かという面に焦点をあて、それをより大きな脈絡、西洋政治哲学史という脈絡のなかに置いていくことを目的とする。

1.1 概略

最後にはわたしの「理想の社会」についても述べるが、ここで述べていきたいのは、ポラニーもその一部であるような「理想の社会」の語り方の系譜である。

今回の講義は、理想の社会をめぐるレトリックの中に二つの種類を分類していく作業に費やされる。一見したところ、一つの種類は過去を振り返るような視線を持ち、もう一つは未来を見据えているように見える。 [ under construction ]

この方法論的対立は、じつは西洋政治思想史の中の二大潮流に比すことができる。それは啓蒙主義とロマン主義の対立である。

共同体|個人||||
ゲマインシャフト|ゲゼルシャフト||||
ロマン主義|啓蒙主義||||
コミュニタリアニズム|リベラリズム||||

2 ポランニーの系譜

2.1 テンニエス

ポランニーは自らの企図と同じものをテンニエス (T"onnies) の著作に見る― 「テンニースの理想は共同体の復元であった。しかし、それは社会の前産業的段階に戻ることによるのでなく、われわれの現在の文明に続くであろう共同体のより高次な形態へと前進することによる復元であった。彼はそれを、生命の完全性を回復する一方、技術的進歩と個人的自由の利点を保持する、一種の文明の協力的段階と考えた。」 (??? 108)

失なわれた共同体についての最も有名な議論は、テンニエスによる『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』 (テニエス 1957)1887年))であろう。

「テンニエスは、マルクスの唯物史観におけるごとくに経済構造を土台とはせず、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトとの区別に照応する意志の二形態を区別している。その第一のものは、「本質意志《ヴェーゼンスヴィレ》」と名づけられる。これは人間の衝動や欲求など自然的傾向の自発的な表現である。第二のものは、「選択意志《キュアヴィレ》」と名づけられ、これは合理的・作為的な精神の思慮をへて形づくられるものである。したがって、ゲマインシャフトは本来的ないし自然的状態としての人々の意志の完全な統一であり、「本質意志」によって結合されたそれ自身実在的・有機的な生命体と考えられる。それに対してゲゼルシャフトは、「選択意志」によって結合された観念的・機械的な形成物であって、ゲマインシャフトにおけるとは異なり、ここでは人々は本質的には分離し孤立している存在である。「本質意志」にあっては未分化のままにまじり合っていた手段と目的は、「選択意志」にあってそれぞれ別個のものとして意識されている。」(生松, 日付なし: 106)

ゲマインシャフト ゲゼルシャフト
本質意志 選択意志
自然的な衝動など 計算
自然的統合 合理的・作為的な統合
実在的・有機的な生命体 観念的・機械的な形成物
共同体 個人

もう一度くりかえすが、ポランニーはテンニエスのこの著作を念頭に置きながら『大転換』を書いたのである。

2.2 エンゲルス

同じころエンゲルスもまたテンニエスと似た人類史の構想を描きだしていた。彼はモルガンの『古代社会』(1877年)((モルガン, 日付なし)>、

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テニエスF. 1957. ゲマインシャフトとゲゼルシャフト(全二冊). 岩波文庫. 岩波書店.

モルガンL. H. 日付なし. 古代社会 上巻. 岩波文庫. 岩波書店.

生松敬三. 日付なし. 社会思想の歴史―ヘーゲル・マルクス・ウェーバー. 岩波現代文庫 89. 岩波書店.