第一部の開発学へのイントロダクションにおいてわれわれは開発主義にせよ反開発主義にしても、どちらも「近代化論」に基づいていること、すなわち「進歩」を認めている所に共通点があることを指摘した。原洋之介を引きながら、わたしは「もう一つの価値」の可能性について触れて、わたしは第一部を終えた。第二部の最初の章、直前の章は原の言う「もう一つの価値」の候補を示すことに費やされた。近代化論、進歩の概念が基づいているのは経済主義であり、それは「最大の利益」「最小の損失」の原理に基く行動系を指す。世の中には経済主義では説明できない交換の形態があることを示した。それは贈与と呼ぶことのできる交換の形態である。その中で評価されるのは決して最小の損失ではない。むしろ最大の損失、別の言葉で言えば自己犠牲こそが評価されるのである。
贈与交換の目的が最大の損失であるわけではない。その目的は関係の構築である。トロブリアンドの人びとの言葉を借りれば、「一人の人間の存在は、他の人間の援助の中で始めて可能になるのだ」、この原理を表現するのが贈与交換なのである。
目的は、開発の相対化である。いかに「開発」は絶対的なものではないと連呼したところで、「開発」や「進歩」にどっぷりとつかってしまった人びとに、「開発」や「進歩」を疑わせることはできないだろう。「贈与交換」を知ることによって始めて、わたしたちは開発や進歩を相対化して見ることができるのである。 [ under construction ]
第二部の残りは、このようにして(いささか印象主義的に提出した)贈与交換を、市場主義に対して「もう一つの価値」と呼ぶことのできるまでに精緻にしていくことである。そうすることによって、わたしたちは開発を、近代化論を、「進歩」を相対化することができるのだ。
この章では、贈与交換、あるいはモラルエコノミーの存在を否定する議論を紹介する。簡単に言えば、一見贈与交換のように見える交換も、その原理はじつは「最大の満足」「最小の損失」の原理なのである、という議論である。すなわち、一見自己犠牲のように見える行為もまた、自分の利益を考えた上での行為である、というのである。
分かり易くするために簡便なラベルを作成しよう。前章で述べた「贈与」あるいは「モラルエコノミー」を強調する人びとを「文化主義者たち」、そして、この章で紹介するような、「一見贈与と見える行為の動機も、また、経済的動機である」と主張する人びとを「経済主義者たち」と呼ぼう。
対立を際立たせるために、ひとつ身近な例を出したい。 [ under construction お駄賃とアルバイトの給料 ] [ under construction 比較可能性、コストパフォーマンス、合理的選択 ]
この授業では時系列順に、あるいは学説史を追う形で議論を進めていない。第二部の主役となった著書の名前と年代を挙げてみる。ポランニー (18861964) 『大転換』は1944年、ギアツの『農業のインヴォリューション』は1963年、そしてスコットの『農民のモラルエコノミー』は1976年である。1
実質経済学をめぐる論争は、実質経済学者 (Substantivists) と形式経済学者 (Formalists) との間で、モラル・エコノミー論争は、モラル・エコノミストたちとポリティカル・エコノミスト(あるいは合理的選択論者 (Rational Choice Theorists))たちとの間で戦われた。
合理的選択論者であるポプキンは、ネオ古典経済学に基づきスコットに反論する。農民は、スコットの言うほどに伝統に縛られているわけではなく、じっさいのところ、様々な革新にたいして「経済的に」反応しているのである、とポプキンは主張する。(Popkin 1979) 農民は、けっきょくやや特殊かもしれないが、しかしそれでも「経済的人間」であるのだ。すなわち、農民もまた、他の人びとと同様に、かかるコストを利益を計算して行動するのである。副次的であるが、ポプキンは次のような主張も展開する― 農民がもつただ乗り (Free ride) への選好を考えるならば、農民革命が農民の価値観から生まれるというスコットの議論は成立しない、と。 (Popkin 1979)
[ under construction だからモラルエコノミーはありえない。 ]
市場社会において、経済的でない原理をもつ共同体(家族、政府等々)の存在を指摘することからポプキンは議論を始める。もし、ある理論(形式経済学)がこのような制度を説明することが可能ならば、一つの社会がこのような制度から成立している社会(非市場社会)を説明することも可能である、というのだ。この議論の中では、非市場社会の存在は、コストの問題として処理される。ある種の状況では、市場がコストとして有利ではないのだ。それゆえ、コストの理由で(「経済学」の理由)から非市場的な制度が採用されたのである。
「家族」を維持するのは、コスト効率がよいからだ、というのがポプキンの議論である。そして、スコットのあげたさまざまな制度もまた、コストから十分説明できるのだ、とポプキンは続ける。
非市場社会の存在は、コストの問題として処理される。ある種の状況では、市場がコストとして有利ではないのだ。それゆえ、コストの理由で(「経済学」の理由)から非市場的な制度が採用されたのである。
インドネシア、スラウェシのト・パモナを調査したシュラウエルスの「作られたモラル・エコノミー」論 (Schrauwers 1999) もこの流れに置くことができるだろう。彼は次のように説く― 農村に市場経済がはいってくる。土地は細分されていく。「持つもの」と「持たざるもの」に分類されるかわりに、「ぎりぎり」(just-enoughs)と「ぎりぎり以下」 (not-quite-enoughs)に分類されていくのだ。資本を蓄積できない農民は、親族に基礎を置く「道徳経済」に由来する ``free inputs’’ を利用するしかなくなる。
「緑の革命」は二期作を可能にし、たしかに収穫を増やすことに成功した。しかし農民たちは「緑の革命」を維持するためにトラクターやその他の機械を必要とした。農民は、町の商人たち(中国人)からそれを購入する。けっきょく緑の革命による成功はすべて町の商人の手にはいり、農民が豐かになったわけではないのだ。
ここでも、議論は農民の合理的選択がポイントになっているのがわかるであろう。自分の子供の労賃(お駄賃)が安いから、他の子供に皿洗いをさせずに、自分の子供に皿洗いをさせているのだ、というのである。
ソロモン諸島を調査した宮内の立場は、このようなポプキンを継ぐものと言えよう。わたしがこの講義で「一見非合理な制度」と言ってきたものを彼は「歴史的ストック」という言葉で表現する。それは、彼によれば、「住民が自然環境との間に作りあげてきた関係、その社会的認知としての共同利用権、さらに人間と人間との間に作りあげてきた相互扶助のシステム」 (??? 158159) などを含むものである。
かつて、「そうした歴史的ストックが生活の安定をもたらしてきた」のだ、と彼は続ける。しかし、市場経済の導入された現在、これらの歴史的ストックは、無条件に採用されることはない。また、無条件に廃棄されるものでもない、と宮内はつづける。そこに選択があるのである。
それでは「歴史的ストックはどんな場合有効なのか?まず、歴史的ストックは、貨幣経済部門での代替よりも低コストである場合に有効である」 (??? 158159)という。彼のガリの実の例を見てみよう。
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ガリの実と同じものが、ガリの実を採るための労働量よりも少ない労働量で得られる賃金で買えるなら、ストックとしてのガリの木は意味がなくなる。しかし現状では貨幣経済部門での代替はコスト高になる場合が多い。だからこそ歴史的ストックは重要視されるのである。 (??? 158159)
ここで強調されるのは貨幣経済部門(ガリの実、コプラ、その他)の不安定さであり、それがゆえに、依然として歴史的ストックは有効性を維持しているのである、と宮内は主張する。宮内は書いてはいないが、ほのめかされているのは、「規範とかイデオロギーとか文化とかで歴史的ストックを説明する必要はない。それは個々人の合理的選択から説明しうるのである。もし、そのような規範、イデオロギー、文化とかを原住民が言及するならば、それは飾りであり、また虚偽意識である」という主張である。
さらに言えば、歴史的ストックでさえ、これ以外の選択肢がない状況では、十分に「合理的」であったのだ、とポプキンそして宮内の説は主張することとなるのだ。ここでは、ギアツに対する反論にあった社会的類型に言及する緩さはない― すべての社会の制度は個々人の合理的選択から説明しうるのである。
スコットの議論への反論をよりよく理解するために、ここで、人類学で「伝統の創造」と呼ばれる議論を紹介しておこう。 1983年に出版されたホブズボームとレンジャー編の『作られた伝統』(Hobsbawm と Ranger 1983)という本に収められた諸論文が展開した議論である。
[ under construction ]
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それは[伝統の「創出」]は . . . 「旧来の」伝統があてはまらない新たな伝統を生み出し、それに沿って「旧来の」伝統が案出された社会的形式を急激な社会変動が弱めるか、崩壊させるとき、あるいはそうした旧来の伝統とその制度的担い手や施行者がもはや充分な適応力や柔軟性を失ったと判明するか、さもなくばそれらが削除されるときに、最も頻繁に生じると考えるべきだろう。 (??? 14)
この論文集の性格を把握するために、 H・トレヴァーローパーの「伝統の捏造―スコットランド高地の伝統」 (トレヴァーローパー 1992) を簡単に紹介してみよう。(同じ ``invention’’ という言葉を「創造」ではなく、「捏造」と訳さざるをえないほどに)。彼は18世紀から19世紀にかけておこったスコットランドにおける「伝統の捏造」を三段階に分けて説明する。
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第一にアイルランドに対する文化的反乱が起きた。そえは、アイルランド文化を簒奪し、初期のスコットランドの歴史を書き改めて、結局のところ、スコットランド―ケルト的スコットランド―こそが「母なる国」であり、アイルランドは文化的に依存しているという不遜な申し立てを行なうことであった。二番目には、新たな高地地方の伝統を人工的に創り出し、それを古来からの独特でまごうことなき伝統として提示することであった。第三には、それらの新たな伝統を歴史のあるスコットランドつまりピクツ人とサクソン人、ノルマン人の居住する東部スコットランド低地地方に与え、東部スコットランドがそれを受容する過程が存在したのである。 (トレヴァーローパー 1992: 32)
彼らがなぜこのようなことをしたかというと、それは自らの弱くなってしまっていたアイデンティティの確保という一言につきるだろう。それまでは、彼ら、スコットランドの高地人は「たんにアイルランドからあふれ出た人びと」 (トレヴァーローパー 1992: 30) にすぎず、彼らの伝統はすべて「アイルランド的なものであ」 (トレヴァーローパー 1992: 30)り、たとえば、スコットランドの吟遊詩人は、「アイルランドから見限られた役立たずであり、スコットランドという重宝なゴミ捨て場に打ち捨てられた」 (トレヴァーローパー 1992: 31)ものだったのだ。
かくして、スコットランドのアイデンティティ確保が個人個人によって行なわれていく― トレヴァーローパーの論文は、個有名に溢れている。
「伝統の創造」議論のポイントは、方法論的個人主義的にあるのだ。「文化」はあくまで道具であり、根底に横たわっているのは、個々人の欲望 (Cohn 1980: 200) なのである。
宮内のいう「歴史的ストック」が歴史的である必然性はない。
シュラウウェルスはさらにギアーツの『インボリューション』にも言及して、「東洋」の労働集約的な経済が過去からつづいているものではなく、あくまで「西洋」の資本集約的な経済への反応から生じたものであるのだ、と主張する。 (Schrauwers 1999: 125)
モラルエコノミーは、シュラウウェルスは結論づける、(1)決っして過去からの「自然な」経済ではなく、市場経済の導入にともなって生じたものであり、(2)それは「合理的な」選択なのである、と。
まず、採集狩猟の社会をめぐる伝統主義者と歴史修正主義者の対立を紹介しよう。伝統主義者たちは、採集狩猟社会は、人類社会の太古からの生存戦略をいまも伝えている社会として描く。この考え方に異を唱えたのが歴史修正主義者 (revisionist) たちである。彼らは、狩猟採集社会の特徴である平等主義や分け合い (sharing) はまったく新しい戦略であると主張するのだ。それは「農耕民に追われた結果として甘受せねばならなくなった劣悪な環境に適応して生きのびるために、せいぜい数百年前に新しく開発された生存戦略で」 (ヘンリ と 敬一 2003: 11)あるというのである。
つまり、狩猟採集社会は「周囲から隔絶した自己完結的な社会であった」 (ヘンリ と 敬一 2003: 11)のではなく、「狩猟採集民は数千年前から周囲の「進んだ」社会と交渉と交流をつづけてきたのであり、つねに外部からの影響をうけてきたと主張されるのである」(ヘンリ と 敬一 2003: 11)。
『農業のインボリューション』の数十年後に、この本をめぐる論争を回顧しながら、著者ギアーツは次のように語る。
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インボリューション論争に関する限り、「経済偏重主義」は、もともと避けようとしていた「障害としての文化」対「刺激としての文化」という枠組みを想起させる文化(あるいは社会文化)の外部化に導いていった。今では「ごまかしのイデオロギーとしての文化」 . . . または「無力な飾りとしての文化」 . . . となり、権力と搾取の力学を隠す . . . 共同幻想や、何の実りもない言葉遊びとなりがちである。文化は浅いものであり、底深いところでは社会は欲望のエネルギーで動いている。 (ギアーツ, 日付なし: 205)
具体的に言うと、文化の一例は(ギアツが本の中で強調した)「貧困の共有」である。経済主義者たちは言う― 「『貧困の共有』というイデオロギーは、単なるごまかしのイデオロギーなのだ。飾りに過ぎないのだ」と。
問題は「何をごまかしているのか」あるいは「何を飾っているのか」だ。それこそが「欲望のエネルギー」なのだ(と経済主義者たちは主張する)。
「生態人類学」の冒頭で紹介したコーンの引用を続けてみよう。
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還元主義者にとって、イデオロギーとか文化というものは、神秘化、虚偽意識の表現なのである。さもなくば、それらはあらかじめ規定された生物学的欲求の作用の表出であるか、行為者の「じっさいの」行動から生じた後付けの合理化なのである。 (Cohn 1980: 200)
[ under construction 次章では文化主義者からの反論 ] [ under construction 水掛け論になる恐れ ] [ under construction ― 言語論的展開 ]
Cohn, Bernard S. 1980. 「History and Anthropology: The State of Play」. Comparative Studies in Society and History 22 (2): 198221.
Hobsbawm, E, と Terence O. Ranger, 編. 1983. Invention of Tradition. Cambridge University Press.
Popkin, Samuel L. 1979. The Rational Peasant. Berkeley: University of California Press.
Schrauwers, Albert. 1999. 「『It’s not Economical』: The Market Roots of a Moral Economy in Highland Sulawesi」. Transforming Indonesian Uplands: Marginality, Power and Production, 編集者: Tania Murray Li, 4:10530. Studies in Environmental Anthropology. Australia, Canada, China, France, Germany, India, Japan, Luxembourg, Malaysia, The Netherlands, Russia, Singapore, Switzerland: Harwood Academic Press.
ギアーツC. 日付なし. インボリューション―内に向かう発展. NTT出版.
トレヴァーローパーH. 1992. 「伝統の捏造 ― スコットランド高地の伝統」. 創られた伝統, 編集者: E Hobsbawm と Terence O. Ranger, 2972. Cambridge University Press.
ヘンリ, と 大村 敬一. 2003. 「「野生」をめぐるイメージの虚実」. 「野生」の誕生―未開イメージの歴史, 編集者: スチュワート ヘンリ, 126. 京都: 世界思想社.