【補論】ギアーツの苛立ち:文化と経済

Satoshi Nakagawa

1

この章のテーマは、「文化と開発」である。単純な図式化をすれば、開発主義者はローカルな人びとを経済主義者として考え、人類学者は彼(女)らを文化主義者として考える、ということだ。

ある人類学者による「文化と経済」をめぐる「いらただしい」議論のまとめを引用することから始めよう。紹介する人類学者はギアーツである。『農業のインボリューション』の数十年後に、この本をめぐる論争を回顧しながら、ギアーツは次のように語る。

:

インボリューション論争に関する限り、「経済偏重主義」は、もともと避けようとしていた「障害としての文化」対「刺激としての文化」という枠組みを想起させる文化(あるいは社会文化)の外部化に導いていった。今では「ごまかしのイデオロギーとしての文化」 . . . または「無力な飾りとしての文化」 . . . となり、権力と搾取の力学を隠す . . . 共同幻想や、何の実りもない言葉遊びとなりがちである。文化は浅いものであり、底深いところでは社会は欲望のエネルギーで動いている。 (ギアーツ, 日付なし: 205)

たとえば、あの素晴しい民族誌『ハマータウンの野郎ども』(P. E. 1996) (初版 1977年)を取り上げてみよう。生きいきと描写された「野郎ども」の(対抗)文化は、けっきょくのところ、(ウィリスの分析の中では)イデオロギーすなわち「虚偽意識」に過ぎないとされてしまう。それは、主流社会の「階級制度」を再生産するためのものなのだ。「野郎ども」はそれを知らぬまま、うんぬんかんぬん…と。息をもつかせぬ華麗な民族誌から、一気にマルクス主義のクリシェへと落下していくのを読者は経験するだろう。「理論の役割は調査を実行可能にするというよりは、むしろ反対に、調査の役割は理論の強化にあるという社会[学]理論家の習性が、ここでも明らかに認められる」(ギアーツ, 日付なし: 206) のだ。説明の中で「何かが失なわれてしまったのだ」(ギアーツ, 日付なし)

「生態人類学」の冒頭で紹介したコーンの引用を続けてみよう。

:

To the reductionists, ideology and culture are mystifications or expressions of false consciousness, or they are expressions of the working of predetermined biological needs or post hoc rationalizations growing out of the ``actual’’ behavior of the actors. (Cohn 1980: 200)


「文化と経済」は、他の言い方をすれば、「共同体と経済」と言うことも可能であろう。ブースの語るように、(Booth 1993: 949) 「共同体と経済」(あるいはブースの言葉で言えば「モラルエコノミー」)をめぐる論争を最初に定式化したのはアリストテレスであった。問題は共同体というものの性質である。アリストテレスは、共同体について考える―― それは単なる経済的利益で結びついている集団に過ぎないのだろうか、それとも共同体とは、非経済的な何か、正義といったものの共有によって結びついた集団なのだろうか、と。

一つの答は、もちろん、経済的な結びつきだけによる共同体(利益集団、ゲゼルシャフト)もあれば、そうでない共同体(ゲマインシャフト)もある、という答だろう。 (テニエス 1957)

2 ギアーツ

学説史的な順番は無視して、この章で最初に扱いたいのは、ギアーツの『農業のインボリューション』(ギアーツ, 日付なし)である。ギアーツの『農業のインボリューション』が刊行されたのは1963年である。

ギアーツはブーケの「二重経済」論に依拠しながら議論をすすめる。「二重経済」とは、植民地において、(1)白人の資本主義と(2)現地民の伝統的経済が両立している状況を指すブーケの言葉である。

まずギアーツ自身による『インボリューション』の議論のまとめをここに引用しよう。

:

インドネシアはきわめて人口が多いだけでなく、人口の分布は著しく歪んでおり、ジャワは国土の九%を占めているにすぎないのに、全人口の三分の二近くの人々が住んでいる(一九六一年)。この状況は今後も持続し、拡大する見通しである。++

++ 一人当たりの収穫量を一定に、あるいはとてもゆっくりした減少率を保ちながら増加する労働力を吸収するおもにジャワに集中する水田の持つ能力と、スマトラ、ボルネオ、セレベス東部の島々の大部分で行なわれている焼畑耕作体系が欠いている人口吸収能力が、このパターンを可能にしている。++

++このような労働集約化が進行する状況は、棚田の生態的特徴や幅広い土地保有条件、技術、労働組織の発展、伝統的農民文化と社会構造の拡張的相互作用によって可能となった。この過程の初期の段階を状況証拠を挙げてたどることは不可能である。しかし、農民経済における(比較的)資本集約的な飛び地経済の形成と同様、オランダ人による輸出作物の強制栽培(藍、コーヒー、タバコ、そして最も重要な砂糖)の体系的な押しつけは一八三〇年から力強く加速した。この二つの間のつながりはシンボリックである。農民の側では、一九五〇年ごろに生じた究極的な結果は「インボリューション」であった。この用語はアメリカ人人類学者、アレクサンダー・ゴールデンワイザーから借用した。彼は、ゴシック建築やマオリ族の彫刻のように、一定の形態にすでに到達しているのに、それでもなお内に向かって複雑化を続けることにより進化し続ける文化パターンを表現するためにこの言葉を作りだした。とくにジャワ農業、そして一般的にジャワ人の社会生活は、着実に増え続ける人口と増大する植民地的圧力を前にして、二〇世紀中頃にひどい袋小路―つまり極端に大きくて今でも増加し続けている労働力と、それをインボリューションを通して吸収する能力の弱体化(マオリ彫刻でさえ、線の間のスペースが不足する)、そして小さなカプセルに閉じ込められたような雇用の少ない工業部門という袋小路―が出現するまで、そのような内的複雑化によって自らを維持してきた。一方、多くの第三国で―たとえばフィリピンのような隣国で―見られた一種の農村の階層分化は抑制された。しかし他方で、ヨーロッパや北アメリカの発展の特徴である農業に雇用される労働力比率が着実に減るという現象も抑制された。『農業のインボリューション』の最後に日本のかなり異なる(つまりヨーロッパともインドネシアとも異なる)農業史との比較に言及して終えた。その歴史を私は今でも啓発的だと思っているが、他のほどんど誰もそのポイントをつかんでいるようには思えず、暗闇の中でただ口笛を吹いているだけの者もいた。最後に生態的および経済的過程の分析を越えて、国家の政治的、社会的、文化的ダイナミックスへの研究へ向かって、インドネシア人の不安感の診断を行うことを主張した。(ギアーツ, 日付なし: 201202)

ブーケ風に言いかえると、 19世紀の強制労働が、(1)資本集約的な西洋セクターを急速に発展させ、他方(2)労働集約的な東洋セクター (Eastern sector)を厳密にステレオタイプ化することによって、この二重経済を確立したのである。

それでは、この『インボリューション』の刊行の後に現れた「ギアーツ・バッシング」(幸生 2001)の経緯を辿ってみよう。

2.1 インボリューション論争

曾孫引き1 による、農業のインボリューション批判をまとめておく。以下の4点に反論はまとめることができる。すなわち:(1)農外労働を無視している―農外労働を加えれば、農民の所得は停滞などせずに、増加していたかもしれない。(幸生 2001: 275276)。(2)一地域の一時点の結果を一般化しすぎている (幸生 2001: 276) (3)土地所有の階級分化が起こっている。(幸生 2001: 276)。そして、(4)貧困の共有に関わるような慣行が、労働節約的なやり方に取って代わられる傾向にある。(幸生 2001: 277)

池本はそれぞれに対して次のように答えている:(1)農外所得の大きさは「貧困の共有」を示しているだけかもしれない。(2)答なし。(3)「しかし貧困の共有という観点を重視するならば、問題は、耕地の所有面積や経営面積が不平等に分布していてそれが階層を形成しているかということよりも、そこにどのような再分配機能が存在しているかにあろう」 (幸生 2001: 277)

(4)に関しては、まず (??? 80) にあげられている「傾向」の具体的な例を引用することから始めよう。加納は次の三つの例を挙げている:(A)「誰もが稲刈り労働に参加し収穫の分け前にあずかれるという伝統的な共同収穫慣行が崩壊しつつあり、これに代わって、みずから募集した賃金労働者たちをひき連れた外来の商人や在地の地主・富農が、収穫・販売のすべてを一定代金で引き受けてしまう「テバサン (tebasan)」と呼ばれる新制度が急速に普及している事実」、 (B)アニアニから鎌への交替、 (C)落穂拾への参加が制限されてきたこと。これらすべてが、合理化、省力化に結びつく努力であり、また生産物の私的排他的独占を強化するものである、というのだ。

  1. は、それゆえ、(池本の言うように(幸生 2001: 278279))「貧困の共有」があったことに対する反論ではなく(「貧困の共有」があったことは認めている)「それが変化しえない」というギアーツの主張(もし、そう主張しているならば)に対する反論なのである。この変化の原因を、加納とコリアーは、『緑の革命』と政治状況の変化の中に求めてる。簡単に言ってしまえば、「政治状況が変わったので、『貧困の共有』は『効率と利益』へと変わったのだ」と。 (幸生 2001: 279)

2.2 ギアーツとウェーバーとマルクスと

論点は以上だし、議論もそれほど問題はないように見える。しかし、ギアーツは苛立っているのだ。

トンプソンは、18世紀の英国で起きた暴動 (riot) に関する論文の冒頭で、それまでのいくつかの説明を概観する。「暴動は、「腹の叛乱」``rebellion of the belly’’ だったというの。この説明のしかたは、いささか、居心地のよいものである。分析は次のように進むわけだ:初歩的である→直観的である→[なんのことはない]空腹なのだ、と」 (Thompson 1971: 21577)

3 前史

ギアーツが何に苛立っていたかは、実質経済学あるいはモラル・エコノミーに関する論争を見ることにより明らかになっていくはずである。実質経済学はポラーニーの議論、モラル・エコノミー2 はスコットの議論を紹介する。

まずは、ポラーニーおよびスコットに先立つ二人の先駆者から始めたい。

3.1 ウェーバーとマルクス

ウェバーをここに引用しておこう。

4 ポラーニー

アリストテレス以来あらためて共同体に注目したのが、ポラニーである。 (???)

われわれの社会では、経済は社会から独立した(「離床した」)独立的な地位を持つが、多くの(前市場あるいは非市場)社会においては、経済は社会に埋め込まれている、というのだ。

ポラーニーは、「経済学者」との論争の中で、自らの立場を「実質経済学」(substantive economy)、「経済学者たち」の立場を「形式経済学」(formal economy)と呼んでいる(まじめな命名ではないのだろうが)。この論考では、この二つの名前を用いることとしよう。さらに、トンプソン経由スコットから有名になった「モラル・エコノミー」をも、「実質経済学」と互換的に使用していくこととする。

ブースは、モラル・エコノミー研究(実質経済学)のもつ力を次の 4つにまとめている(Booth 1994: 653)

[ under construction ]


タウシッグによって引用されている『大転換』の次の部分は、ポラーニーの主張を手際よく表現しているだろう。

:

The postulate that anything bought and sold must have been produced for sale is emphatically untrue in regard to them. . . . Labor is only another name for a human activity which goes with life itself, which in turn is not produced for sale but for entirely different reasons. . . . The commodity definition of labor, land, and money is entirely fictitious. (??? 72) (Quoted in (Taussig 1980: 2930))

5 スコット

実質経済学の考えかたを農民叛乱あるいは日常的抵抗の分析に用いたのがスコットである、と言われる。それにしてはじつにつまらん議論であるのは承知の事実であろう。そのつまらなさを解明していくのが、ここでの目的である。

スコットの議論にはベトナム戦争が背景にあることを頭に入れておこう。

5.1 農民のモラル・エコノミー

さて…

「保守的である」というイメージの強い農民たちが、しばしば叛乱を起こし、さらには革命の担い手となる。なぜだろう…『農民のモラル・エコノミー』(Scott 1976) はそのような問いに対するひとつの解答を示す。

スコットは、本の冒頭で、トーニーの『中国の土地と労働』の一節を引く:

:

There are districts in which the position of the rural population is that of a man standing permanently up to the neck in water, so that even a ripple is sufficient to drown him. (Tawny 1966: 77)

スコットは、このような(のどまで水につかっているような、生存ぎりぎりの)農民の経済について書く。

スコットの議論を簡単にまとめると次のようになる:生存すれすれの状態で生きる(スコットの場合、マレーシアの)農民の共同体は独特の価値観をもつ。それは、(個人所有と対照的な)集団的な価値観である。危険回避原則、互酬性倫理、平等、共同体の維持、そして、とりわけ、生存へ権利から成るものである。市場経済が農民社会に浸透するとき、このような価値観が破壊されてしまうことに農民は危機感を覚え、また怒りを感じる。それが日常的抵抗・あるいはまた革命へと続くのだ、と。

農民の叛乱を理解するには、農民がモラルエコノミーに基いて行動していることを理解しなければならない、というわけだ。

6 実質経済学

スコットのはじつにつまらん。ポラーニーに議論を絞り、ときどき関係しそうなときにスコットに言及するという作戦で以後書き進めていくこととする。

6.1 社会に埋め込まれた経済

実質経済学における最も重要な区分は、二つの社会体制の区分である― 市場社会は、経済が社会より離床したそのような社会であり、非(あるいは前)市場社会は、経済が社会に埋め込まれているそのような社会である、と彼らは主張する。

. . . the claim that premarket economies were embedded means that the human interchange with nature was ``submerged’’ in social relations. (Booth 1994: 653)

ヌアの「経済的」関係は「つねにより一般的な社会関係の一部を構成するのである」と、エヴァンス・プリチャードは語る(Evans-Pritchard 1940: 90)。 . . . always form part of direct social relationships of a general kind (Evans-Pritchard 1940: 90)

あるいは、ハーバマスの語るように、「[ under construction ] 」(Habermas 1987: 163)。 . . . in the nonmonetarized economic activities of archaic societies, the mechanism of exchange has so little detached itself from normative contexts that a clear separation between economic and noneconomic values is hardly possible. (Habermas 1987: 163)

(社会に)「埋め込まれた経済」と「離床した経済」の対立はつぎのような三つの議論形式の中で展開される。 (Booth 1994: 653)

ポラーニーの描写する古代ギリシアのオイコス (oikos)(「世帯」)とスコットの描写する農民社会は、そのような「埋め込まれた経済」の例である。そこでは、経済は独立した領域ではなく、「経済的な」行為もまた、つねに共同体のもつ倫理― 「統合性 (solidarity)」と「生存への権利」―に言及しながら説明されるのである。

6.2 「非市場社会には経済学は適用できない」

実質経済学(あるいはモラル・エコノミー研究)は、「現在の市場社会で生まれた経済学は、非市場社会の分析には使えない」と主張する。希少性 (scarcity)、余剰 (surplus) その他の経済学的な概念はけっして普遍的なものではなく、歴史的・文化的にきわめて限られた分布しかもっていない、とするのだ。

6.3 実質経済学者による市場社会の特徴づけ

ポラニーが名付ける「大転換」により、非市場社会が市場社会へ移行する。実質経済学者はいかにこの「市場社会」を特徴づけているのかを、この節で見よう。

「大転換」後の市場社会(「経済が(社会から)離床した社会」)の第一の特徴は、経済という領域の自立、その自己制御的 (self-regulating) な性格である。

第二の特徴は、市場が社会のすみずみにまで浸透している、という点である。

これらの二つの性格は、ポラーニーによれば、土地と労働が商品化したことの帰結であるのだ。

かつては、社会が経済を包んでいたのだが、「大転換」後は、むしろ、経済が社会を包むのだ。

6.4 実質経済学の規範的議論

ブースは、実質経済学あるいはモラル・エコノミー研究のもつ三つの側面を強調する。ひとつは制度的な側面、ひとつは説明的な側面、そして、規範的な側面である。単に、分析の道具であるというだけでなく、われわれの社会がいかなるものであるべきか、そのような疑問に対しても、実質経済学は答を模索するのである。

モラル・エコノミー研究者の規範的議論は、いままで、以下の三つの道筋を辿っていた、とブースは整理する (Booth 1994: 657): (1) 市場の独立を自由の規制として批判する擬似マルクス主義的な議論、 (2) 市場社会における統合の欠如を批判するコミュニタリアン的議論そして (3) 善の概念が市場社会において削除されたことを批判する議論。

具体的な議論の展開は以下の通りである。(1)かつて経済は道具であり、社会の「善」に奉仕するものであった。現在、むしろ社会が経済に奉仕するものとなった。経済の独立は、マクロなレベルで作用する(共同体を崩壊させる)だけではない。それは個人の行動にまで作用する。人は、すべて経済的に行動するようになったのだ。

(2)かつてゲマインシャフトを動かしていた人間的な統合が、自立した経済領域をもつ市場社会においては失なわれた。かつては、個人的な私利私欲に、共同体の善が優先していた。市場社会においては、人間的な紐帯が失なわれ、言わば、商人の集り (community of traders) のようになってしまっている。根をもたず、ただよう、古代社会においてもっとも蔑まれた社会になってしまったのだ。

(3)[ under construction ]

7 モラル・エコノミー論争

実質経済学をめぐる論争は、実質経済学者 (Substantivists) と形式経済学者 (Formalists) との間で、モラル・エコノミー論争は、モラル・エコノミストたちとポリティカル・エコノミスト(あるいは合理的選択論者 (Rational Choice Theorists))たちとの間で戦われた。

論点毎に整理してみよう。

7.1 非市場社会の「経済」も経済学で説明できる

すでにみたように、ポラーニーには、非市場社会の「経済的」行動を、「希少性」や「合理性」からは説明できないと主張した。この主張に対する反論を、ブース(Booth 1994)の整理に従って追っていこう。

ひとつの反論のしかたは、マルキシズムを例として挙げるやりかたであろう。マルキシズムは、「希少性」等々の経済学の言葉を使用して、非市場社会の分析に成功しているではないか、と。 (Booth 1994: 658) ブースは、このような議論の一例としてノース(??? 6163)を引いている。

二つ目の反論は、市場社会において、経済的でない原理をもつ共同体(家族、政府等々)の存在を指摘することから論を始める。もし、ある理論(形式経済学)がこのような制度を説明することが可能ならば、一つの社会がこのような制度から成立している社会(非市場社会)を説明することも可能である、というのだ。この議論の中では、非市場社会の存在は、コストの問題として処理される。ある種の状況では、市場がコストとして有利ではないのだ。それゆえ、コストの理由で(「経済学」の理由)から非市場的な制度が採用されたのである。

ポプキンは、さまざまな前資本主義社会にみられる「一見非合理にみえる行動」を、合理的選択から説明してみせた。

7.2 モラル(平等)を第一に置く議論は矛盾する

合理的選択論者であるポプキンは、ネオ古典経済学に基づきスコットに反論する。農民は、スコットの言うほどに伝統に縛られているわけではなく、じっさいのところ、様々な革新にたいして「経済的に」反応しているのである、とポプキンは主張する。(Popkin 1979) 農民は、けっきょくやや特殊かもしれないが、しかしそれでも「経済的人間」であるのだ。すなわち、農民もまた、他の人びとと同様に、かかるコストを利益を計算して行動するのである。副次的であるが、ポプキンは次のような主張も展開する… 農民がもつただ乗り (Free ride) への選好を考えるならば、農民革命が農民の価値観から生まれるというスコットの議論は成立しない、と。 (Popkin 1979)

1990年代に出版されたベーツとカリーの議論(スコットに対する反論)を詳細に紹介しよう。議論を単純にするために、ベーツとカリーは土地の分配に注目する。 [ under construction ]

8 ギアーツは何に苛立っているのか?

実質経済学あるいはモラル・エコノミーを巡る議論を辿るあなたは、デジャ・ビューを覚えないだろうか。そうなのだ、(ギアーツの)『インボリューション』を巡る議論に酷似しているのだ。これらの(ギアーツの言うところの)「経済偏重主義」的な考えこそがギアーツを苛立たせる考えかたなのである。経済偏重主義の中で、 thing got lost 「何かが失なわれているのである」 (Geertz 1983: 10)。それでは、いったい何が失なわれているのだろうか。そのために、いささか迂回した道筋ではあるが、ブースによるスコットの批判を見る必要がある。

8.1 ブースが指摘するスコットの「経済主義」

二つの論文((Booth 1994)>および

9 伝統の創造

人類学者(の卵)であれば、「伝統の創造」議論はご存知であろう。もちろん、モラル・エコノミーを「伝統の創造」議論の中に入れることも可能だ。トーマス「伝統の逆転」(Thomas 1992)3 とサーリンズ (Sahlins 1993) の「ケレケレ論争」を引くことも可能だろう。ひとひねりしたのが「モラルエコノミーは市場がルーツである」と主張する「そいつは経済的じゃないね」という論文 (Schrauwers 1999)である。 [ under construction ]

シュラウウェルスはさらにギアーツの『インボリューション』にも言及して、「東洋」の労働集約的な経済が過去からつづいているものではなく、あくまで「西洋」の資本集約的な経済への反応から生じたものであるのだ、と主張する。 (Schrauwers 1999: 125)

モラルエコノミーは、シュラウウェルスは結論づける、(1)決っして過去からの「自然な」経済ではなく、市場経済の導入にともなって生じたものであり、(2)それは「合理的な」選択なのである、と。

Booth, William James. 1993. 「A Note on the Idea of the Moral Economy」. The American Political Science Review 87 (4): 94954.

―――. 1994. 「On the Idea of the Moral Economy」. The American Political Science Review 88 (3): 65367.

Cohn, Bernard S. 1980. 「History and Anthropology: The State of Play」. Comparative Studies in Society and History 22 (2): 198221.

Evans-Pritchard, E. E. 1940. The Nuer. Oxford: Oxford University Press.

Geertz, Clifford. 1983. Local Knowledge. Basic Books.

Habermas, Jrgen. 1987. The Theory of Communicative Action. Vol. 2. Boston: Beacon Press.

P. E. 1996. ハマータウンの野郎ども. ちくま学芸文庫. 筑摩書房.

Popkin, Samuel L. 1979. The Rational Peasant. Berkeley: University of California Press.

Sahlins, Marshall. 1993. 「Cery Cery Fuckabede」. American Ethonologist 20 (4): 84867.

Schrauwers, Albert. 1999. 「『It’s not Economical』: The Market Roots of a Moral Economy in Highland Sulawesi」. Transforming Indonesian Uplands: Marginality, Power and Production, 編集者: Tania Murray Li, 4:10530. Studies in Environmental Anthropology. Australia, Canada, China, France, Germany, India, Japan, Luxembourg, Malaysia, The Netherlands, Russia, Singapore, Switzerland: Harwood Academic Press.

Scott, James C. 1976. The Moral Economy of Peasant. New Haven: Yale University Press.

Taussig, Michael T. 1980. The Devil and Commodity Fetishism in South America. Chapel Hill: The University of North Carolina Press.

Tawny, R. H. 1966. Land and Labor in China. Boston: Beacon Press.

Thomas, Nicholas. 1992. 「The Inversion of Tradition」. American Ethonologist 19 (2): 21332.

Thompson, E. P. 1971. 「The Moral Economy of the English Crowd in the Eighteenth Century」. Past and Present 50 (2月): 76136.

ギアーツC. 日付なし. インボリューション―内に向かう発展. NTT出版.

テニエスF. 1957. ゲマインシャフトとゲゼルシャフト(全二冊). 岩波文庫. 岩波書店.

幸生. 2001. 「訳者解説」. インボリューション―内に向かう発展, 27183. NTT出版.


  1. (???)> と <!―(???)を引く (幸生 2001) から。

  2. 正確には、トンプソン (Thompson 1971) が提唱者であろうが。

  3. 「創造」と「逆転」では洒落にもなんにもならないのだが、原題は Inversion of tradition であり、 Invention of tradition にかけてある。